4代続く渡久山酒造。
地元に親しまれ、地域に根差した酒造りを淡々と続けてきた、伊良部島の酒造会社です。
住宅街の中にひょっこり現れた看板と、シーサーがお出迎えしてくれました。
専務取締役:渡久山 研悟(とくやま けんご)
昭和50年、渡久山家の次男として生まれる(現在41歳)。
渡久山酒造4代目として2001年より家業を引き継ぎ、今年で16年。※
子供は男女2人、趣味は音楽鑑賞。90年代洋楽(Oasis等)が好きでよく聴いている。
※2017年10月取材当時
渡久山酒造の始まりはいつごろからですか?
昭和二十一年(一九四六年)に、僕の曾祖父(渡久山知章)が設立※して、今年で七十一年目。
創業(商売を始めた頃)は、泡盛の製造免許が交付された昭和二十四年(一九四九年)ではないかと思います。その頃には、曾祖父は隠居して、祖父(渡久山知照)が2代目として継いでいますね。
聞いた話では、カメを買ってそれに酒を入れて売っていたらしいのですが、船や荷車の輸送の途中で割れたりですとか、商売も大変だったようです。それに、昔は麹を見守るため(発酵のための麹をかき回す等の作業がある)に寝ずの番で、後継ぎや嫁さんは大変だったと聞いています。
※設立年は宮古島市総合博物館開館三周年記念特別企画展冊子「宮古のサケ」より
工場の天井には、泡盛に使われている黒こうじ菌が住み着いて「まっくろくろすけ」のよう。天井から、代々の酒造りを見守ってくれています。
泡盛は育てるもの、と言いますが昔は子供のように手間がかかったんですね。
ところで研悟さんは、いつから4代目に?
僕が学生の頃、病床の祖父が酒づくりを心配してた記憶が何となく頭にあったのが古い記憶。
親父は農業の傍ら、酒づくりを続けていて、家業を継げとは一言も言わず、好きな事をさせてくれました。
それから二十五、六歳の頃、親戚も周りの人も「お父さんが大変してるよー」と言って、NHKのちゅらさんブームの頃だと思います。親父からちょっと手伝ってー、と言われたのが最初で、二〇〇一年に引き継いでから一六年ほど経ちます。
お父さんの代から使っている、泡盛のでき具合を蒸留テストするフラスコ。
酒造りを引き継いでみてどうでしたか?
集落だけで飲まれる酒でしたし、生産量が少ないというのもありますが、どこのオトーリに行っても「豊年」でオトーリ回すのは滅多になくて・・・最初の頃は、他社との差を感じる事が多かった気がします。
最後に一言お願いします
居酒屋に行くと、若者のテーブルでは滅多に泡盛は飲まれていなくて、泡盛ばなれを痛感します。
泡盛ばなれが進む中、泡盛を残していきたい。その為にも、みなさんに泡盛ファンになって頂きたいです!
いろんな銘柄がありますから、まずは飲んでみて、好きな泡盛を見つけてほしいですね。
渡久山酒造おすすめの銘柄!
実りのイメージの「豊年」と、海のイメージの「ゆら」。対照的な二つの銘柄がおすすめです!
渡久山酒造「豊年」
研悟さんのおじいさまが名付け親。農業に携わっていたことから「豊年」と、豊かな実りを祈る名前がついたそう。
豊年でオトーリを回す時は、反時計回りにすると豊漁も両方、祈願出来るかも!?
渡久山酒造「ゆら」
研悟さんが作ったお酒。
宮古島の海が大好きな奥様が、ゆらゆらと光る水面、海での時間をイメージして「ゆら」と名付けたそう。
飲みやすいため観光客にも人気。
昔からビンの買い取りを行なっており、地元の方がよく持ってきてくれる。資源の循環を感じる風習です。
内地に届いた酒ビンが、宮古島のお祝いでオトーリに使われたビンかもしれない・・と思うとロマンが溢れますね!